アイドルの恋愛は許されない

はじめに

アイドルの恋愛発覚は現代の定番ニュースとなっています。
マスコミはどうも芸人や女優の熱愛発覚と同じ調子で下世話な噂話のネタとして報道しているようですが、「アイドルの恋愛発覚」は「有名人のプライベート暴露」とは一線を画するものです。仮に全く売れていない芸人が全く売れていない女優と付き合っていたとしたらニュースの価値はあまりありません。しかしアイドルであれば別です。アイドルファンはたとえ自分の知らないアイドルのニュースであっても不快感を覚えるでしょう。それはこれが業界全体の信頼を損ねる業務上の事件であって、プライベートという範疇に済まされないものだからです。
 

アイドルとは

ライブでステージに立ち、歌って踊って、握手会を開いて、アイドルはそれが仕事と思われていますが、それは「イベント」であってアイドルの本質的な仕事ではありません。ではアイドルは何をもって仕事としているのでしょうか。
ずばり言えばアイドルは「愛の乞食」なのです。
舞台の上で輝く様はそんな言葉と無縁に思わせるものかもしれませんが、本質的にアイドルは何かを提供して金銭と交換する仕事ではないのです。言おうとおもえばいくらでも良いようには言えるでしょうが、純粋に表現しようと思えば「乞食」が適切と考えます。
とは言え、アイドルの商売と言えばCDやライブグッズの販売収益が主であり、寄付ではなく売買で成立しています。私が考えるのはなぜ作曲も作詞もせず歌っただけのCDが売れて、何故プロダンサーや歌手より技術の劣るお遊戯ライブに人が来るのかという部分です。それはアイドルが愛されているからです。
自分にもし愛する子供がどこかでステージに立つことがあればどんな出来であれきっと観に行きますし、グッズがあればそれ自体の価値を気にせず応援の気持ちで買うでしょう。
では他人の子供だったら。自分に子供がいながら他人の子供を熱心に応援するとしたらそれは「キモい」と言われても仕方ないような気がします。ですが、実はその子に親がおらず、親の代わりに多くの人に見てもらいたくて舞台にいるとしたらどうでしょう。私なら目立つことはせずとも見届けたいと思います。
憐れみは愛の免罪符であり、そんな状況を商業的に利用するのがアイドルです。アイドルをするのにいかにも「人気者」な人ではいけません。仕草や容姿に憎らしさがなく、しかし特別に輝くものも持たない。自分に自信がない分を人懐っこく振る舞って他人に認めてもらおうとする。普通に生きていたらやや残念なくらいがアイドル向きなのです。しかしそんなやや残念人間が都合よくアイドルを目指してはくれません(例外有り)。多くは目立ちたがり屋が、目立ちたい一心でファンを求めて愛嬌を振りまくのです。TwitterInstagramで、動画やライブ配信で、ラジオやテレビで、人の目に触れるあらゆるところで「愛されたい人間」として振る舞うことがアイドルの仕事なのです。
イベントも宣伝の一部ですが、歌や踊りは人気になるために練習するものではありません。自分を応援してくれる人が「もし集まったら」、ファンのお蔭で充実していることを伝えつつ、その場で共に楽しんでもらえるようにする。そんな「もてなし」として練習するものなのです。
イベントでは最高に楽しそうな姿を見せます。でも終わったらまたいつも通りです。
「この子はまだまだ飢えている」、そう思わせ続けるのがアイドルの仕事です。

恋愛が発覚したらどうなるのか

およそ当然のことですが、恋愛が発覚すれば「愛に飢えている」などという印象は消し飛びます。
例えるなら1億円拾ったホームレスです。 ホームレスなら問題はありません。金が欲しくて金が手に入って、万々歳のハッピーエンドです。
ところがアイドルは「愛に飢えている」という体で人を集めつつも、その実目当ては金だから難しいのです。「愛が満たされた」とするなら乞食ごっこは辞めねばなりません。恋愛成就を速やかに自ら公表し引退するなら筋は通ります。ですがもし引退しないのなら「この上、何が欲しいんだ?」という話になります。アイドルだって金が欲しいのは誰でも分かっています。でもファンは紳士的な遊びとしてアイドルを信じ、愛の形として金を使うのです。ごっこ遊びに必要なのはルールではなく信用です。アイドルに恋愛が発覚するのはディズニーランドでミッキーマウスの首が取れるのと同じです。あってはなりません。

恋愛に腹を立てるファンはガチ恋なのか?

これは案外難しい問題です。
愛の乞食ごっこにちゃんと付き合うならば愛を差し出さねばなりません。金では駄目なのです。ミッキーマウスに「お疲れ様です」と言ってはいけないのと同じです。ですからアイドルを愛するのはむしろ健全な態度です。
愛は一方通行の贈り物です。渡したら交換で何か貰えるものでもありませんし、「この前渡したのを返してくれ」とも言えません。基本的には損しかしません。それでもファンは自己満足で愛を渡しっぱなしにします。だからこそアイドルを乞食と呼んだのです。
アイドルと付き合いたいと思う人をガチ恋と呼ぶのなら、その人はアイドル遊びにおけるファンではありません。ただの片思いの人です。恋愛が発覚したらその恋人へ嫉妬するはずです。職業を越えてその人格に恋愛しないことを期待するのはファンのあり方ではありません。 本当のファンが期待すべきことはアイドルがその在任中に誠実であることだけです。恋愛するなら引退する。もし恋愛を隠してアイドルを続けるならファンの全員が死ぬまで隠し通す。このどちらか以外を期待して非難するならばアイドルの捉え方を間違っているはずです。
アイドルをしている人を好きになってしまったら、自分をファンだと言うのは辞めましょう。本当に付き合うつもりでも誠実なアイドルはファンから相手を選びません。付き合いたいなら「アイドル」抜きで狙いましょう。そうでなければ諦めましょう。
ガチ恋」を純粋な恋愛と考えるなら「アイドル」においてアイドル本人にもファンにも無縁のものと結論します。
 

アイドルにはならない方がいい

某グループでは明確に恋愛禁止をルールとしています。
こんなルールは本来不要です。利益を追求すれば十分なインセンティブがあるからです。しかしルールを設定したことでアイドルは批判されやすくなりましたし、人権侵害ではないかと阿呆みたいな擁護も出てきました。
職業選択の自由がルールの拒否を保証しているので人権侵害ではありませんが、恋愛は必ずしも業務外の自由ではないのです。
アイドルファンの需要は若い年代に集中しています。本気で恋をしようと思わずとも愛を持って応援しやすいのでしょう。しかし若い年齢でアイドルになって恋愛をなるべく避けて過ごすことは文化的にも本能的にも生き方として最適には思えませんし、恋愛発覚で非難されるのも人生を通してみればおかしな話でしょう。自分の子供がアイドルになりたいと言い出したら上手く諦めてもらうつもりです。アイドルになるのが不幸だと思っているわけではありませんが、何も乞食から始めなくてもいいはずです。アイドルになって活躍できる人は多分恋愛に十分向いています。恋愛の価値と金銭を天秤にかけるのはどうかと思いますが、実際にそういう選択なのです。私は人がアイドルになることを勧めしません。