二次創作小説を書いてみて

書いてみた

以前の記事でそのうち二次創作小説にも手を出したいと書いたのですが、実のところ怖気づいていました。私は久しく新しい領域に踏み出すことを怠っていて少し臆病になっていたのです。物事を始める時は誰でも須くできるもできぬも分からぬまま手を付ける他はないものですから、「やったことがない」は始めない理由にできません。ですが結局真っ直ぐ立ち向かうには度胸が足りず、このブログで少し文章を書いてそれが思いの外楽しめたこともあり、「小説に見える形で文章を作ってみよう」とやや遠回りに自分を勇気付け、書いてみました。
 

作業

本当はある程度計画を持って書き始めるのが良いのでしょうが、自分にとってはそれこそが挫折の第一歩と短い人生の中で学びました。軽い気持ちで始めるのがコツです。寝る前に少しずつ思いつくまま書きました。書いた小説は主人公の語りだったので「思いつくまま書く」というのが期せず適していたかもしれません。
最初は作文作法など知らぬ顔で書いていたのですが後から気になって多くの箇所を訂正してまわることになったら大変だと不安になり、一応小説の作法を調べました。ただ電子的に書いて電子的に表示することを目的としていたので「原稿用紙の使い方は紙媒体のためのもので、電子的な文章では最適な表記も変わるのではないか」との疑問が頭を離れませんでした。ところが調べるうちにその「作法」は単なる伝統的慣習ではなく、JISに規定された「日本語文書の組版方法(JISX4051)」に従ったもので、これは電子機器に文章が表示されることを意識して作成・更新されているものと知ったため、取り敢えずこれに従うことにしました。(ブログでは違和感があるので採用しません)
ブログの記事はまとまった内容にしたいと思うので書いては消しの連続ですが、小説は思いついたことが小説内の事実であり、後から捻じ曲げるのも卑怯に思えて(ブログは卑怯と認めます)、それに消し始めたら切りがないので(これが大きい)、あまり消さずに書き進めました。四晩使って一通りの話を書き、五日目は会話の隙間に文を継ぎ足し、六日目はやはり書きすぎたところを削るなどして仕上げました。
不思議だったのは小説書きが明らかに創作の行為でありながら考えを整理するだけのブログよりも「作っている」とは感じないことでした。水槽の中で魚が泳ぐのを観察し、見飽きたら餌を撒いてそこに魚が群がるのをまた観察する。そして観察をスケッチに残す。そんな作業に感じました。常々の妄想で創作は大方終わっていたらしいのです。知らぬ間に創作を終えていたお蔭で小説技術に苦戦するだけで済みました。これは二次創作故に楽なところだったと思います。
書き上がったものを通して読んで見ると小説のように見えましたし、話も筋が通っていると思えましたが小説の印象として誰か他の人が読んだ時にどう思うかだけが難しく、三周ほど読むうちに自分の文こそが自然に思えてきて、諦めました。これで完成です。
 

困難

先に書いたように、読んだ人に文体の違和感がないか、伝え損ねた情景がないか、表現で誤解を招かないか、そういう自分でない人が読んだ時のことを考えるのが一番難しく、結局できませんでした。
それから、PCで書いたものを確認する際に、表示するフォントがある程度綺麗なことと空白文字や改行等のシンボル表示ができることを求めてエディターを探しました。案外良いと思うのが見つからず、いくつか入れて試したうち癖の少なく欲しい機能の揃った「Mery」を使うことにしました。今のところ気に入っています。 何のエディターを使おうが同じことですが、書くうちに文のテンポや描写の量が適切かが分からなくなり、これも結局諦めました。
小説でも何でも読者の読むスピードは一定であって、その情報を拾う密度と感情がついていく頃合いは書く人の側で調整されるのだと気付きました。それができるのが多分上手い人の上手さなのだろうと思います。できそうにないほど難しいですね。
 

出来

まず、書き上げた時点で二万字もの量になったのが驚きでした。後に一割ほどは削ったのですが、それでも自分で読んで長く感じました。本屋に売られるような小説よりは短めですが、二次創作として投稿サイトに載せるには適当だったのではないかと思います。
内容には満足しています。ほとんど予定通りの進行になりましたし、無計画に散らかした要素を最後に拾えたのも上出来でした。
私に二次創作小説を勧めた人にも読んでもらいましたが、ある程度良く評価して頂けたような感想を頂戴しました。(私が逆の立場だったらどんな出来でも悪くは言わないことでしょう)
 

今後も続けるか

続けると思います。楽しかったので。
 

さいごに

小説書き終えた勢いでこの記事を書いたので文体が妙なことになりました。ですが記念にこのままにしておきます。では